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単語集のむこうがわ Episode 2: My Shot (from the musical “Hamilton”)




Hamiltonの音楽を初めて耳にしたのは、2016年2月、第58回グラミー賞授賞式を観た時だった。レディー・ガガがデビッド・ボウイに捧げた演奏や、ラッパーとして史上最多5部門を受賞したケンドリック・ラマーなどが話題となったこの年のグラミーだが、私にとっては「Hamiltonと出会ったグラミー」以外の何物でもない。


 演奏は、会場のあるロサンゼルスからではなく、当時上演中だったニューヨーク、ブロードウェイのリチャード・ロジャース劇場からの生中継だった。そこでHamiltonのオープニング・ナンバー、“Alexander Hamilton”を聴いてしまった私は、それから半年以上どっぷりHamilton漬けの生活を送ることになった。グラミーでの演奏をYouTubeで繰り返し見る。関連するビデオをさらに何度も見る。CDをアメリカのAmazonから注文する。ニューヨークタイムズやその他のメディアに出たHamiltonについての記事を片端から読む。届いたCDを毎日毎日何時間も聴く。関係者のインタビューを見る・聞く・読む。Hamilton関係のビデオをネットで検索しては鑑賞する。CD付属の歌詞台本を何度も読み返す。歌詞を暗唱する。そしてその当然の帰結として、――ラップを練習し始める。

 そう、HamiltonはHip-Hopで作られたミュージカルなのである。しかもLa La Landのように歌と芝居が交互に出てくるミュージカルではない。2時間半以上に及ぶ劇全体が40曲以上の途切れない音楽で構成されている。セリフは極く一部を除いてラップあるいは歌という、いわゆる“sung-through”スタイルのミュージカルだ。


 物語は、10ドル紙幣の顔として知られる、アメリカ合衆国初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンの一生を描く。カリブ海の小島ネイビス出身の孤児である彼は本土での進学のチャンスを得ると、独立戦争の際には20歳の若さでジョージ・ワシントン総司令官(のち初代大統領)の右腕として働く。独立を果たした後は憲法を起草し立憲国家の礎を築く。ワシントン政権で初代財務長官の座にまでのしあがり国の金融システムの基盤を作り上げるものの、スキャンダルで失脚。その後、生涯の政敵に決闘で撃たれ49歳の人生に幕を下ろす(ネタバレの心配はご無用。殺した当人が一曲目で「俺が撃った」と言ってます)。


 あらすじだけ聞くと、何やらお堅い退屈な芝居を連想してしまうだろう。それが正反対で、オープニングナンバーからカッコいい曲が絶え間なしに続き、息つく間も無く進んでいく。まさにノンストップ。The Late Showホストのスティーブン・コルベアの言葉を借りれば、“My first reaction was, just like, ‘Oh this is very interesting, very different. I wonder how long they can sustain this.’ And then you go, ‘Oh this is actually quite magnificent!’ And two hours later I'm going, ‘Why am I crying over Alexander Hamilton?’” となる。


 知性と野心の塊、アレクサンダー・ハミルトンが恐るべき勢いでのしあがりそして失墜していく様はスリリングで、登場人物たちのぶつかりはじける感情のほとばしりが、Hip-HopのリズムとR&Bのハーモニーに乗せられて舞台上に生々しく立ち現れる。このミュージカルにとって、Hip-Hopは必然の選択だ。逆境からのしあがっていく物語は、まさにHip-Hopの物語そのものだからだ。

Hip-Hotとハミルトンの共通点はもう一つある。「言葉の力」だ。ハミルトンは、17歳の時にハリケーンの惨状について書いた手紙がきっかけでアメリカ本土の大学に進学する機会を得た。それから49歳で死ぬまでの間に合計22,000ページもの文書を残した圧倒的な多筆家である。「言葉の力」でどん底から這い上がっていくところも、彼と幾多のラップスターとの共通点だ。

 さらに、出演している俳優のほとんどは黒人かヒスパニック系である。彼らにとってHip-Hopはまさに「自分たちの」「今の」音楽に他ならない。その彼らが演じているキャラクターたちは、アメリカ建国の父といわれる偉人たち――すなわち黒人奴隷を所有していた白人たち――である。奔放な逆転の想像力に支えられて、物語は一層の深みと同時代性を持って観客に迫ってくる。

 この驚嘆すべきミュージカルを作詞・作曲したのは、開幕した2015年当時弱冠35歳だったリン=マニュエル・ミランダ。自身も俳優で、主役のハミルトンを演じている。正直、「天才」以外に彼を形容する言葉を思いつかない。Hamiltonはグラミー賞の4ヶ月後に行われたトニー賞でも16部門にノミネートされ、11部門で受賞を果たした。以来ブロードウェイで最もチケット入手が困難な、ホットな演目となっている。

My Shotはショウの冒頭2曲目(CDではTrack 3)に演奏される5分半の大曲である。舞台はアメリカ独立戦争中の1776年ニューヨーク。奨学金を得て大学で学んでいた19歳のハミルトンが、自身の野心と決意を圧倒的なライムとフロウで語り尽くしていく。冒頭はこうだ(以下、拙訳とともに引用)。


I am not throwing away my shot!

I am not throwing away my shot!

Hey yo, I'm just like my country

I'm young, scrappy, and hungry

And I am not throwing away my shot!


オレはチャンスを逃しはしない!

チャンスを逃しはしない!

オレはこの国みたいに若くてケンカ腰で飢えているんだ

オレはチャンスを逃しはない!


 全ての言葉が熱く研ぎ澄まされているので、この曲はぜひ歌詞全文を読んで欲しいのだが、ここでは曲のクライマックス部分、ハミルトンが生への渇望をラップするモノローグの、最後の部分だけを紹介したい。


I'm past patiently waitin’

I'm passionately smashing every expectation

Every action's an act of creation

I'm laughin’ in the face of casualties and sorrow

For the first time, I'm thinkin’ past tomorrow

And I am not throwing away my shot!


辛抱強く待つなんかもううんざりだ

オレは片っ端から全ての期待を叶えている

あらゆる行いは創造行為だ

犠牲者と悲しみにも関わらずオレは笑ってる

生まれて初めてこう思うんだ、オレは明日をも追い越していると

オレはチャンスを逃しはしない!


 最初にこの曲を聴いた時、意味を理解するより先に、何度も繰り返しこの部分ばかりかけていた。音楽として、それくらい圧倒的にカッコいい。網のように張り巡らされた

/æ/、/ei/、/eɪʃən/、/ɑroʊ/のライムが複雑なシンコペーションと重なって感情の昂りを描き出す。

 しかし落ち着いて歌詞を読んでみると、この最後の部分に“past”という単語が(強勢とともに)2回使われているのに気付く。その使われ方が非常に新鮮だった。自分がこの言葉をこんなふうに感情を込めて使ったことは、それまで全く無かったからだ。

 英語学習者にとってpastという単語は、ほぼ二通りの用法に限定されるのではないだろうか。ひとつは「過去(の)」という意味の名詞・形容詞として、もうひとつは「〜時〜分過ぎ」という表現の「過ぎ」を表す前置詞として(例: half past ten = 10時半)である。どちらも感情表現とはかけ離れた、かなりドライな用法だ。

My Shotにおけるpastは後者の用法なのだが、この感情の昂ぶりようはどうだろう。「我慢強く待つこと」など「もう過ぎた」ことだ。「生まれて初めてこう考えている、自分は明日をも『過ぎて』しまっている、と。」


 総計22,000ページ。ハミルトンの伝記を書いたロン・チェルノウをして、“a human word machine”と言わしめるほど、「書くこと」に一生を費やした文筆家。独立戦争のコーディネート、憲法の起草、国法銀行の設立、そのすべてを「書くこと」によって実現させた政治家。「言葉」によってアメリカの基盤を作った思想家。リン=マニュエル・ミランダ曰く、「世界に影響を与える言葉の力を体現する」者(“He embodies ‘the word’s ability to make a difference’”)。For the first time, I'm thinkin’ past tomorrow”には、そんなハミルトンの生き様が凝縮している。

 興味がある人は、歌詞カードを手元に、グルーブに身を任せてこの曲全体を聴いてほしい。残念ながら、ラップの日本語訳ほど役に立たないものは無い。日本語にした瞬間、全てのライムは消え失せてしまう。歌詞を文字として読んだだけでは、その痺れるようなリズムは絶対に伝わってこない。ミランダが言うように、ラップは“heightened language”なのだ。それは聴かれるべき、感じられるべき、そしてともに口ずさまれるべき、言葉の音楽なのである。


Hamiltonに出会ったおかげで、それまで全くと言っていいほど聴かなかったHip-Hopが私の人生に賑やかに割って入ってきた。今ではひとりで車を運転する時にはよくJay-ZやChance the Rapperをかけている。けれど、私は知っている。こうなったのは私だけではない。世界中、何百万人もの人々が同じようにこのミュージカルを通じてHip-Hopの豊かさを発見し、アメリカ建国の知られざるストーリーに魅惑され、新しい世界の息吹を感じている。Hamiltonはこの先も、そうやって「世界に影響を与える芸術の力」を証明し続けていくに違いない。


 私のラップの練習、その後どうなったかって? その答えが知りたければ、ぜひLA Sessionに来てください!


追記

Hamiltonは、現在Disney+で劇場録画版を全編ストリーミング視聴できます(英語字幕のみ。日本語字幕なんて無理!)。オリジナルキャストによるHamiltonのサントラは、CD購入はもとより、様々なサイトからダウンロード購入・ストリーミング再生ができます。ぜひぜひ!


 

SALC Language Advisor

Shoichi Manabe

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