単語集が苦手だ。英語に限らず、古語やその他の外国語なども含めると、単語集を入手した数は10回を軽く超えている。しかし完読して学習したものになると、はるか昔、高校時代に取り組んだ語数わずか222個の古文単語集のみとなる。1000とか2000とかの語数を謳っているものについては、まともに続いたためしがない。前書きを読んで意気揚々と取り掛かるものの、最初の数ページで挫折する。根気が続かない。
そんなわけで、英語クラスで学生たちに単語の課題を出す時は「ああ、こんなにたくさん覚えろ覚えろって言ってごめん・・・」と心の中で思っている。自分にできる自信がないからだ。見事に課題をこなしていく学生を見ると、素直に頭が下がる。みんな、えらいね、と。
APUの英語カリキュラムは最先端の英語教育研究が反映された見事なものだ。それに比べると私の大学時代の英語クラスは、先生の趣味としか思えない読本を学生全員で順に訳していくだけの、四技能という概念さえ無い貧相なものだったと思う(教えていただいた先生方ごめんなさい)。ただひとつ役に立ったと思えるのは、当時英会話クラスのネイティブの先生が言ってくれた「英語の学習をするなら英英辞典を使わないと意味がない」という一言。以来、単語集の苦手な私は、興味を持った英語インタビューや英文記事に接するたび、ひたすらわからない単語を英英辞典で調べてノートに書き留めていった。
この「英英辞典ボキャブノート法」(仮名)が効果的だったかと言うと、もちろん答えはイエスなのだが、これは単語学習の始まりに過ぎなかったと今は思う。言葉は、それが使われている生きた文脈の中で学んでこそ、その深い意味を理解することができるからだ。私の場合、その「文脈」を提供してくれたものの多くが、映画、音楽、文学といった娯楽作品だった。
前置きが長くなってしまったが、そんなわけで、私の担当する回では、私が英単語を深く理解するきっかけとなった作品群を紹介していくことにしたい。本日の作品はスピルバーグ監督作品「プライベート・ライアン」(Saving Private Ryan) (1998)である。特に、この映画の終盤でトム・ハンクス扮するジョン・ミラー大尉が発する最後のセリフ中で繰り返し使われる単語だ。
[注意! ここから先は超ネタバレの話になります。]
1944年6月、ドイツ軍占領下のフランス、ノルマンディーに連合軍が上陸作戦を決行する。夥しい数の犠牲者を出しながらも上陸成功を果たしたアメリカ軍のミラー大尉に、本国からの指令が届く。ノルマンディー地区のどこかに従軍中のジェームズ・ライアン初等兵(マット・デイモン)を救出し、本国に帰還させること。ライアン家から出征した四人兄弟のうち、ジェームズ以外の三人が戦死したから、というのがその理由だ。ミラーは七人の部下を引き連れ、命令を遂行すべく危険なフランス内陸部へと歩を進める。
−――最初に断っておくが、私は戦争映画が好きではない。特に戦争を美化しているものは、それがどの国の映画であれ、全く見たくない。戦闘描写も暴力描写も基本的に苦手だ。この映画もリアルな戦闘シーンのため、アメリカ映画協会からR指定を受けている。特に冒頭の上陸戦シーンは凄惨を極める。怖いものが苦手な人には全くお勧めしない。
そんな私がなぜこの映画を見てしまったのかというと、アメリカに住んでいた当時、復員軍人の日(Veterans Day)という祝日にこの映画がテレビ放送されていたからである。何の気なしにザッピングをしていたところに、冒頭の上陸戦シーンを見てしまった。戦闘シーンは苦手なはずなのに、なぜかそこから画面に釘付けとなったのだ。
映画も中盤を過ぎた頃、ミラー率いる小隊はようやくのことライアン初等兵と遭遇する。兄弟全員の戦死と帰国指令の知らせを聞いたライアンは、肉親の死を嘆きながらも帰国を頑なに拒む。「どうして自分だけ特別扱いなんですか? 他の隊員も自分と同じく懸命に戦っている。彼らが私に残された兄弟だ。戦場の兄弟を見捨てることはできない」と。説得しきれないままミラー隊はライアンの所属する部隊に合流し、ドイツ軍の進攻を阻止するためメルデル川の橋を死守する戦いに加わる。程なく戦車に率いられたドイツ武装親衛隊が橋を突破すべく攻撃を始める。
必死の抗戦を試みるも次第に戦車隊の物量に圧倒され、アメリカ軍は撤退を始める。ミラーも橋の爆破を試みようとして胸に銃弾を受けてしまう。壊滅的な状況を目の当たりにし、殲滅を覚悟させられたライアン初等兵は膝を抱え泣きじゃくる。ミラーが戦車に踏み潰されようとしたその瞬間、突然現れたアメリカ戦闘機の爆撃によって戦車は破壊される。支援部隊が到着したのである。アメリカ軍は一気に形勢を逆転し、ドイツ兵士を制圧する。重傷を負ったミラーにライアンが援軍の到来を告げる。ミラーは最期の力を振り絞り、ライアンに言う。
“Earn this. Earn it.”
これを聞いた時、初めてearnという言葉の意味がわかったような気がした。通常、単語集などではearnの意味は「お金を稼ぐ」だけで終わっている。けれども、それではこのセリフは全く理解できない。Merriam Webster Dictionaryによれば、earnの語源は古高ドイツ語arnēnで、意味は「収穫を刈り取る」である。また、earnの初出記録は12世紀以前で、その意味は “to receive as return for effort and especially for work done or services rendered” (努力、特に仕事や奉仕の見返りとして(何かを)受け取ること) だったという。
受け取るものが「お金・利益」の場合、単語の意味は「稼ぐ」に落ち着く。しかし「見返り」がお金に限定されるわけではない。それは「信頼 credibility, trust」であったり、「名声 reputation」であったりもする。あるいは、このセリフで表現されているように「生きてアメリカに帰還すること」を意味する場合もある。
"Earn this. Earn it."
「帰国しろ。本国送還指令に従っていいんだ。お前はもう十分に戦った。俺たちは十分に戦った。皆死んでしまった。俺は帰れないかもしれない。でもお前は生きて帰国できる。命令に従え。そして生きてくれ。」
ミラーの 言葉 にはそういう想いが全て詰まっている。 直訳では置き換えることのできない、earnの意味が伝わってくる。(ちなみに、この原稿を書くために初めて日本語字幕をチェックしたのだが、このセリフの訳は「ムダにするな。しっかり生きろ」となっていた。字幕翻訳者の苦労がしのばれる箇所である。)
映画中盤、ミラー大尉の本職が英語作文の高校教師だったことが明かされるシーンがある。APUで英語を教え、言語学習アドバイザーとしてSALCで仕事をする私と重なる部分があるような気がして、不思議な気持ちになる。同時に、本職を離れ、兵士として従軍しなければならなかった彼の境遇に、戦争の悲惨さや酷さを思わずにいられない。大袈裟かもしれないが、私はAPUの学生たちが将来世界に広がり、少しずつ、でも確実に世界を良い方向に導いてくれることを信じている。そんな皆さんの学生時代をより有益なものにするべく、私も微力ながらここで英語を教えている。
というわけで、学生の皆さん、SALCで待ってますよ!
SALC Language Advisor
Shoichi Manabe